ティプトリーと丹下桜
わりと真面目に丹下桜目当てで『彼女がフラグをおられたら』のイベント見に行ったのに丹下桜の歌なしとかなにそれ丹下桜ファンに死ねと? 憤死しろと?
いや丹下さんの歌が聴きたかったら丹下さんのソロライブ見に行けよって話ではあるんですが、ソロライブ見に行くほど丹下さんの歌が聴きたいかと言われればそうでもなく、誰かのついでくらいでちょうどいいというか、まあそんな感じなんで。
だってさー、どうせソロライブ行っても俺が聴きたい『今はまだ遠いラブソング』とか『それがあなたのいいところ』は歌ってくれないんだろ? 『少女時代も』ないだろ? じゃあ行かねえよ。
ていうかそろそろ『ときめきメモリアル SUPER LIVE』復活させてくれませんかね。ダメですか。ダメなら丹下桜と桑島法子と菊池志穂と田村ゆかりと野田順子だけでもいんですけど。それもダメですか。じゃあもうこの際『虹色の青春』メンバーだけのLIVEで我慢するからさっさと開催してください。
『SFマガジン700【海外篇】』を消化中。
内幸町までの行き帰りでラリィ・ニーヴン『ホール・マン』、ブルース・スターリング『江戸の花』、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『いっしょに生きよう』の3編を読み終えたが、ティプトリー以外は微妙、というか最後までおもしろさがわからず。スターリングのは意欲作ではあることは認めるが果たして意欲以外の価値はあるのか。ニーヴンは昔から合わないので仕方ないです諦めます。
で、ティプトリー。
あまりにも女性らしくなってしまった後期ティプトリー作品は苦手だけど、今回の短編はまだ読めた。冒頭の文体からは初期ティプトリー作品特有の硬質な肌触りが感じられ、一瞬傑作の予感を覚えたものですが、最終的にはやっぱ後期ティプトリーだなあ、という展開に。
なんだろうね。道具立ては悪くなく、どこをどう切り取っても硬派なファースト・コンタクトSF以外の何者でもないのだけど、なにが違うのか。なぜこうも甘く感じられるのか。そもそもティプトリーを一気読みしたのが10年も前なので記憶を美化してるだけという可能性もあるのだが、ティプトリーってこんなもんじゃねえだろう、という思いが消えない。同じアイデアを使っても、冒頭の文体で最後まで突き通して傑作に仕立てあげるのが俺のイメージするティプトリー。そうだ、異質さが不足している。