玩具堂と花守ゆみり

 玩具堂の本領はミステリにあると、改めて思い知らされました。

 主人公が生徒たちの相談を聞く立場にあるという設定。自由奔放タイプと自縄自縛タイプのダブルヒロインというキャラ配置。各短編と繋ぎのエピソード(そしてそれはエピローグとプロローグを兼ねたもの)で構成された連作短編という形式。

 作品のつくりは概ねデビュー作、『子ひつじは迷わない』を踏襲している。それだけではなく、意図的なものかどうかはわからないが、各短編で扱うモチーフもデビュー作を踏襲しているように思える。

 だからといってデビュー作の焼き直し的な作品かといえば決してそうではなく、作者の技術的な成長が随所に見られ、同じようなつくりで同じようなモチーフを扱っていても、読後感は明確に最新作のほうが優れている。いや、優れていると言ってしまうと語弊があるかもしれないので言い換えよう。最新作のほうが読者への配慮が行き届いていて、読後感が心地よい。

 また謎の提示と解決もデビュー作と比較すると格段にスマートに、無理のないものに仕上がっており、とりわけ作中作を題材にした「VS宇宙怪獣」と「史上最薄殺人事件」を読み比べてみると、作者の成長ぶりは一目瞭然だ。どう考えても解明不可能と思わせる突飛な謎を純粋にロジックのみで解いていく後者はあまりにすばらしい…。

 8年間、「つまらなくはないけどなんでこんなもの書いてるんだろうふつうにミステリ書けばいいのに…あ、書かせてもらえないのか」と忸怩たる思いを抱いていた玩具堂ファンにとっては待望の新作にして期待以上の快作ではあるのだが、唯一残念な点があるとすれば、読者への配慮が行き届きすぎていて、ダブルヒロインの性格がともにマイルドになりすぎたことだろうか。ツンドラヒロインは今の時代にはもう無理なのか…。

 読者的にやや鼻につくコンプレックス(でも好き)を抱え、読者的にはかなり鼻につくアイデンティティ(でも好き)を確立した両ヒロイン(+主人公もだな)のあまりにも面倒くさい性格と、それが少しずつ変化していく過程も『子ひつじは迷わない』シリーズの魅力だったので、新シリーズではそのへんがどうなっていくのか、作者の手腕に期待しつつ続刊を楽しみに待ちたい。すでにオーディオドラマが作られてるくらいだから、当然あと10冊くらいは出るんだよね?

 花守ゆみり高田憂希をキャスティングしておきながら(『子ひつじ』のドラマCDも相当に豪華でしたが)これでおしまいってことはさすがにないと思うので、とりあえず先に三原さんの声優を発表しておきましょう。すでにわりと食われ気味ではあるが、声優次第(イメージ的には小松未可子だが、長縄まりあ久野美咲大野柚布子あたりでもよし)ではほんとに両ヒロイン食われるぞ。


MF文庫J『探偵くんと鋭い山田さん』オーディオドラマ①

高島雄哉と大西沙織

 帰ってきたら5年半の歳月が過ぎ去っていた。これがウラシマ効果というやつか。

 5年半経っても世界はそう大きく変わっておらず、ぼくが過去に名前を挙げた声優はまだ誰も消えていない(結婚は2人してた…)。作家はもともと消えてた人も死んでた人もいるし、そもそもすぐ消えたり死んだりするのが当たり前の世界だから5年半程度では何も変わらない。変わったことといえば、大好きだったティーハーフが競走馬を引退して種牡……あれおかしいな、まだ走ってますね。

 

 とかいうどうでもいい話はどうでもいいとして、ここ数年、声優成分は多分に摂取しているがスターシップ成分はさっぱりで、直近読んだSFはなんと昨年9月の高島雄哉『エンタングル:ガール』だ。その前はKindleで復刊されてた北野勇作『クラゲの海に浮かぶ舟』で、これが………え、2018年5月? 嘘だろ? てかそもそも5年半前も「最近SF全然読んでねえなー」って言ってたし、ぶっちゃけここ10年くらいさっぱりですわ。

 『エンタングル:ガール』は、アニメ『ゼーガペイン』の世界をまだまだ広げてみせるぜー、あとカミナギLOVE。という作者の強い意志を感じさせる佳品だったが、あれから1年弱、未だ残念ながら『ゼーガペイン』に新たな展開は生まれていない。望むのは短編アンソロジー or 舞浜放送局の新作だが、せめて花澤香菜に「リトルグッバイ」を歌わせるくらいのことはそろそろしてくれてもいいのではなかろうか?

 

 ちなみに今は最近A&Gで散財したときに買った「佐倉としたい大西」のDVD1作目を観ている。やっぱ5年半も経つと声優DVDが買いきれないほど出てて大変ですねー(もういい)。むしょーに寿司が食いたくなったが、佐倉綾音が握った寿司しか食いたくないというジレンマ。大西沙織水瀬いのりとやってる『ダンまち』のYoutubeが大変おもしろいので、あれの新作早くしてください。

エンタングル:ガール (創元日本SF叢書)

エンタングル:ガール (創元日本SF叢書)

  • 作者:高島 雄哉
  • 発売日: 2019/08/29
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

玩具堂とゆいかおり

 ゆいかおりのライブBDを観ているがどう考えても小倉唯よりも石原夏織のほうが可愛かったはずなのにどういうわけか石原夏織よりも小倉唯のほうが可愛いのではないかと思い始めてしまい悶々としている。おかしいな、そんなこと、あるわけないのに。

 

 『子ひつじは迷わない』6巻からはや2年。その間に『子ひつじ』の短編と掌編がwebで発表されたりデビュー前に書かれた作品がなろうに投稿されたりといろいろあったが、満を持しての堂々たる復活である。いやめでたい。

 タイトルとあらすじが発表された時点では嫌な予感しかしなかったが、実際に読んでみると人工生命体をテーマにしたSFと言って良く、オンラインRPGの中で生まれたAIを現実の人間の身体に漂着させるというアイデアは大変おもしろかった。

 アイデアと世界設定の構築に重きを置くあまりキャラクター描写が若干おざなりになっているきらいもなくはないが、『子ひつじ』も一筋縄ではいかない少年少女の内面描写が増えてから加速度的におもしろくなったので、次巻以降は玩具堂の本領が存分に発揮されることだろう。大丈夫、すでに種は蒔かれている。

  ていうかあらすじで普通に続刊が予告されててびっくりですよ。1巻が売れたら2巻が出るとかいう話になってるもんだと思ってましたよ。そして絶対に1巻は売れないので我々玩具堂ファンはまた悶々とした日々を過ごすしかないのだと思ってましたよ。ちゅんません、KADOKAWA舐めてました。

ル・グィンと早見沙織

 『四月は君の嘘』のニコ生を観たら早見沙織がえらく綺麗になっていたけどふと思い返してみればここ最近早見沙織を見るたび綺麗になったと感心してるような気がするのでたぶん実際に綺麗になっているのだろう。ていうかアイメイクと髪型だな、こりゃ。さっきまだあまり綺麗になっていない(けど可愛い)3年前の映像観て確認したので間違いない。

 しかし『四月は君の嘘』をアニメに出来るんだったら『天にひびき』もどうにかなりませんかね。あとどさくさに紛れて『きんいろカルテット!』もよろしく。

 

 『SFマガジン700【海外篇】』をようやく読み終える。意外にもアーシュラ・K・ル・グィン『孤独』が大変良かった。実にル・グィンらしい、異星文化を丁寧に描いた作品ですが、ハイン生まれ異星育ちの少女が板挟みになりながらも自分の意志で自分だけの人生を選択し力強く生きていくさまがすばらしい。ゆえに孤独。

 アンソロジーのトリを務めるテッド・チャン『息吹』は何度読んでも感動的ですが、そのひとつ前、パオロ・バチガルピ『小さき供物』のディストピア感も大好きです。バチガルピはほんとこんなんばっかだな。

あおい・さおりの新番組(`・ω・´)DJCD Vol.1(豪華盤)(DVD付)

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ティプトリーと丹下桜

 わりと真面目に丹下桜目当てで『彼女がフラグをおられたら』のイベント見に行ったのに丹下桜の歌なしとかなにそれ丹下桜ファンに死ねと? 憤死しろと?

 いや丹下さんの歌が聴きたかったら丹下さんのソロライブ見に行けよって話ではあるんですが、ソロライブ見に行くほど丹下さんの歌が聴きたいかと言われればそうでもなく、誰かのついでくらいでちょうどいいというか、まあそんな感じなんで。

 だってさー、どうせソロライブ行っても俺が聴きたい『今はまだ遠いラブソング』とか『それがあなたのいいところ』は歌ってくれないんだろ? 『少女時代も』ないだろ? じゃあ行かねえよ。

 ていうかそろそろ『ときめきメモリアル SUPER LIVE』復活させてくれませんかね。ダメですか。ダメなら丹下桜桑島法子菊池志穂田村ゆかり野田順子だけでもいんですけど。それもダメですか。じゃあもうこの際『虹色の青春』メンバーだけのLIVEで我慢するからさっさと開催してください。

 

 『SFマガジン700【海外篇】』を消化中。

 内幸町までの行き帰りでラリィ・ニーヴン『ホール・マン』、ブルース・スターリング『江戸の花』、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『いっしょに生きよう』の3編を読み終えたが、ティプトリー以外は微妙、というか最後までおもしろさがわからず。スターリングのは意欲作ではあることは認めるが果たして意欲以外の価値はあるのか。ニーヴンは昔から合わないので仕方ないです諦めます。

 で、ティプトリー

 あまりにも女性らしくなってしまった後期ティプトリー作品は苦手だけど、今回の短編はまだ読めた。冒頭の文体からは初期ティプトリー作品特有の硬質な肌触りが感じられ、一瞬傑作の予感を覚えたものですが、最終的にはやっぱ後期ティプトリーだなあ、という展開に。

 なんだろうね。道具立ては悪くなく、どこをどう切り取っても硬派なファースト・コンタクトSF以外の何者でもないのだけど、なにが違うのか。なぜこうも甘く感じられるのか。そもそもティプトリーを一気読みしたのが10年も前なので記憶を美化してるだけという可能性もあるのだが、ティプトリーってこんなもんじゃねえだろう、という思いが消えない。同じアイデアを使っても、冒頭の文体で最後まで突き通して傑作に仕立てあげるのが俺のイメージするティプトリー。そうだ、異質さが不足している。

Musees de Sakura

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